能登半島地震、被災地での支援(P.U.S 岩下代表)

エルセラーン1%クラブと提携するNPO法人「P.U.Sバングラデシュの村をよくする会」の岩下八司代表は地震発生後、現地に入っての活動を決意しました。
被災地での「草の根的支援」に走り回った岩下さんからお話をうかがいました。

◆「おんなじ人間が困ってるんやから行かないかん。行くんやったら10日までが勝負になる」

 岩下代表は東日本大震災、熊本地震と、大きな災害にあっては持ち前の行動力で現地に駆け付け、行政や自治体ではなかなか手が届かない支援に尽力してきました。
これまでの経験から「なにか自分にできることを」と突き動かされると同時に、「北陸ならエルセラーンのメンバーさんも多いはず」と思い、1月3日 福井キャプテン会に連絡を取りました。





4日に自宅のある兵庫県・篠山を出発。P.U.Sの活動をともにする男性と一緒に、2台の軽トラックで福井県内のキャプテン会との待ち合わせ場所を目指しました。
到着すると、荷台がいっぱいになるほどの支援物資が用意されていました。福井のボランティアキャプテンは「石川キャプテン会にも声をかけたから寄ってください」と岩下代表に伝えました。
 


◆寒空のテント泊
石川県・金沢市のメンバーさんから「連絡が取れない知人がいる。消息がわかれば嬉しい」という言葉を受け、岩下代表はまずは珠洲市を目指しました。知人の安全を確認でき、それから約2週間、テントで寝泊りしながら避難所、自宅避難者のもとを回りました。











◆「避難所を出て自宅に戻って生活する人がいる」
「たくさんの人が一か所に避難していると、ストレスから揉め事も多くなる。水不足のため、トイレも悲惨な状況になっていました。そういうことが原因で、避難所を出ていく人がいる。ただ、そうすると生活すべてが自己責任。助けてもらえなくなる。車で回った地域はプロパンガスが主流で、ガスが残っていればなんとかなっていたらしい。また、生活水も山の湧き水でなんとかなっていた。ただ食料がない。そういう人たちのところをひたすら回っていた」





支援物資が届かない自宅避難者や集落を回って「食料パック」を配り続けました。食料は金沢市内のスーパーで調達。

集落を回る支援活動を続けるうちに、地元の男性が店舗として使っていた建物の一部を「活動拠点」として貸してくれるようになった。
岩下代表は仲間とともに改装し、1年分の賃料をお支払いした。









◆熊本のキッチンカー出動
「熊本地震のときは、ひたすら屋根にのぼってブルーシート張りをしたんやけど、約2週間の滞在で、やっぱり食事は大事やと思った」

岩下代表は、今回は炊き出し系の活動をしようと思ったそうです。熊本地震の際、支援活動で知り合った西原村の「たんぽぽハウス」にはキッチンカーがありました。



「無期限で貸してください」とお願いすると、施設の方は快諾。熊本県まで取りに行き、石川県まで運ぶ弾丸移動。





週末しか被災地に入れないボランティアもいる。そういう人たちのためにキッチンカーがあれば『いつでも使ってください』と言える。もちろん自分たちでも使う。

「とにかく、あったかい食事を食べてほしいと思った。湯気が立つほどあったかいご飯を出したいなぁ、と。学校とかの避難所での炊き出しは、とにかく大量にこなさなければいけないけれど、うちは小規模で、ひとりひとりと仲良くなれるように。食べ物がさみしいことのつらさはよくわかるから」






◆歌と音楽によるケア
岩下代表による珠洲の最初の炊き出しの写真に、シンガーソングライターの石田裕之さんの姿がありました。



石田さんはP.U.Sの理事を務め、岩下代表との親交も深い。



岩下代表「高齢者や障がい者のいる施設で歌を歌ってもらおうと思った。テレビが映らなくて娯楽がないと聞いたので」

石田さんは施設利用者のリクエストなども受けて、いろいろな歌で被災者の心を潤しています。






第1、3の金土日は、岩下代表か丸山理事、あるいはほかのP.U.Sの人が行く。事前に支援のニーズを聞いておく。

「家の片づけとか、食べたいものとか、なんでもいい」

岩下代表は2月22日の午前中に篠山に戻り、翌日はバングラデシュへ出発しました。約3週間の滞在を終えると、日本に戻ってくる。


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