過去紹介分(5)竹内昌子・土井田瑠瑞子キャプテン

 エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。

 

竹内昌子キャプテン(1962年生まれ)
(1990年豊田キャプテン会所属)
カープレゼーション「トヨタのエコカー ヤリス」早々に獲得

 

■保育から行き着いた“公害ストップ

 

 
下の子が生後2、3か月のころ、抱っこすると顔をなめてきたりするので、化粧品って何でできているのかなって気になり、たどり着いたのがエルセラーン化粧品でした。天然であって、きれいになる。公害ストップに役だってボランティアにつながる。「画期的な化粧品!」と感動し、すぐに使い始め、お友だちにもたくさんお伝えしました。
でも、子どもが大好きだったので、すぐにキャプテンにはならず、保育園を手伝ったりしていました。保育の勉強を続ける中で知ったのは、公害がひどくなって子どもたちの体が弱くなっている─という現実でした。保育の現場で“公害ストップ”というエルセラーンのポリシーに行き着いたんです。結局、元から公害をなくしていく方が子どもたちの役に立つんじゃないかと思いました。
公害ストップを保育園の中で伝えても対象は父兄だけ。エルセラーンだったら、子どもからお年寄りまで男女問わず、ものすごく幅広い層に公害ストップを訴えられ、ゆくゆくは子どもたちのためになっていく。エルセラーンに出合ってから2年8ヵ月後、キャプテンになっていました。
 

★竹内昌子キャプテンのとある一日★

 
6時:起床、ストレッチ運動を15分程度おこなう。エルセラーン商品を「男性では宇宙一使っている」夫が定年退職後、畑で無農薬の野菜や果実を育てており、それを使ってシソ味噌や漬物、梅干しを作ったり、夕食の下ごしらえ
7時:和食中心の朝食。タンパク質と野菜をたっぷり摂る。LINEチェック、その日の仕事の準備
8時半:蒲郡にある実家のサロンへ向けて出発、途中で商品出荷
10時:実家のサロンでホームパーティ
正午:メンバーが経営するレストランで昼食、納品
午後:メンバー宅を車で1軒ずつ移動しながら交流して納品
18時:帰宅。夫婦のうち、早く帰宅した方が夕食を準備
18時半:夕食。その日の精算・伝票処理・翌日の出荷準備など
21時半:LINEチェック、電話対応。入浴。体操、読書
22時半:就寝。「睡眠時間は長めに取ります」
 

■「日本のおかあさん」になれる仕事

 

 
私、知り合いやメンバーさんのところで赤ちゃんが生まれると抱かせてもらうのが趣味なんです。これまでに数えきれない赤ちゃんを抱かせていただきました。実の娘、息子もいますが、貧しい国の子どもたちの里親になろうかと考えた時期もあるぐらいの子ども好き。だからエルセラーンで途上国の学校建設事業が始まり、「日本のお母さん」っていってくれる子どもたちが現地にたくさんできたのがすごく嬉しくて…。エルセラーンの学校に通う子どもたちは皆、かわいいです。
ボランティア活動は仕事をした後、土・日とか夜だけするという方が多いと思いますが、エルセラーンでは極端な話、寝る以外の時間を公害ストップとかボランティアに充てられます。エルセラーンの四位一体のポリシーは、国際ボランティア、地球環境を守る(ストップ・ザ・ポリューション)、生涯心を磨く、この3つを仕事にする─です。エルセラーンを伝えることが学校建設につながっていく。仕事とボランティアが一緒になっているのはすごい魅力だと思います。
 

■エルセラーンの仲間は宝物

 

スリランカの竹内小学校

 
私の宝物はエルセラーンの仲間たちです。2018年に自宅でボヤを出し、寝泊りが難しくなったときには豊田キャプテン会の仲間たちから「うちのサロンを使って」「娘の空き部屋をどうぞ」などと声を掛けていただき、全国のキャプテンたちからも励ましの言葉や義援金を頂きました。メンバーの皆様からもあふれるほどの愛をたくさん頂きました。日々、素晴らしい仲間に囲まれて有難い事ばっかりです。
先日は会社の表彰制度「カープレゼンテーションコンテスト」でトヨタのエコカー「ヤリス」を獲得し、たくさんの仲間たちから祝福を受けました。学校建設と年間表彰総合部門の愛知V1を狙っていたら、ヤリスも同時についてきちゃった感じですが、実家のサロンへ行ったり、メンバーさん宅を回ったりで年間2万㎞ぐらい車に乗るので助かります。エコな上にGoogleナビと接続できる便利な車だそうで、年明けの納車にワクワクしています。
 

■「1000校達成」の瞬間に立ち会いたい

 
自身の学校建設は10校目が目の前なのでまず、それを実現したいです。そして、エルセラーンの目標である学校建設1,000校の達成を見たいですね。「いつか達成するだろう」ではなく、その瞬間に立ち会えたらいいなと思うので、みんなでエルセラーンの活動を積極的におこなって1,000校を実現させるのが夢です。自分が頑張るのはもちろんですが、前へ進んで学校建設をしたいと思っているキャプテンやメンバーを応援して一緒に喜びあいたいです。
私は赤ちゃんを見に行って、女の子なら「大きくなったらエルセラーンを使ってね」「キャプテンやってね」って30年間、必ず声を掛けてきました。小学生でも会える子には「お肌で悩みがあったら、おばちゃんにいってね」って話しかけてきました。大きくなってパートナーになっていただけた方もいます。若い人は存在自体が“未来”なので、エルセラーンにとって絶対に必要な人たちだと思っています。だから私は20代のメンバーを切らしたことがありません。
エルセラーンと関わることで、その方の人生が豊かになりプラスに変わっていくと信じています。(インタビュー2021年10月)

 
 

土井田瑠瑞子キャプテン(1947年生まれ)
(1994年広島キャプテン会所属)
島から出にくくても学校建設9校目の条件達成

 

■身をもって体感した化学物質の怖さ

 

 
兼業農家に嫁ぎ、みかん作りをしていたので肌は紫外線で真っ黒、さらに農薬でボロボロになっていきました。食品評論家・郡司篤孝先生の本『怖い化粧品1000種』を読んだ妹からは、化粧品が石油からできていて怖いという話も聞かされ、会社に直接電話して化粧品を使い始めました。43歳のころです。でも不便な島に住んでいるので直上のキャプテンにもなかなか会えず、勉強会や催しにも行けず、ただの「使う人」でした。
3年ぶりに直上のキャプテンと会うと、「エルセラーンの肌になっていない。何か混ぜて使っていない?」といわれました。実は口紅だけは他社の製品を使っていたんです。それもエルセラーンの化粧品に替えると、1カ月ほどで肌が陶器のような美しい色になり、周りから「まるで整形したみたい」と声がかかるようになりました。
時間をやり繰りしてやっと参加したエルセラーンの勉強会で『プラス思考・マイナス思考』、『唯心・唯物』の話を聞き、潜在能力を開発する特ゼミ(特別ゼミナール)のデモンストレーションを見て、「えっ、こんな会社があるのか」とビックリして改めて興味を持ちました。すぐ特ゼミに行って〝不可能はない〟ことを体験し、キャプテンになろうと決めました。
 

★土井田瑠瑞子Cのプロフィール&コロナ禍のとある一日★

 
出身地:広島県の因島。県内の大崎上島に島から島へと嫁いだ〝瀬戸の花嫁〟。嫁ぎ先はみかん、晩柑類及びキウイなどを作る兼業農家だったが、農薬で肌がボロボロになっていったため、商業出荷をやめて無農薬で自家消費する野菜、果物だけを作るようになった。
血液型:B型。結婚するまでは銀行勤めで、A型の父の影響か四角四面の、こうでなければいけないという生き方、また結婚しても田舎の嫁として自分自身を殺すようなしんどい生き方をしていた。エルセラーンと出会ってB型本来の性格が開花。明るくなり、「生き方が楽になりました」。
家族:主人は外国航路や瀬戸内のフェリーのエンジニアをしていたが定年退職、私の大病・乳がんの手術後は炊事・洗濯・掃除の家事全般を担当し、支えている。
趣味:ガーデニングで、薔薇やガーベラ、アマリリス、チューリップ、ブーゲンビリアなどを栽培している。深夜に約30分かけて花の水やりをしながら「お月様とお星様にお礼をいう」のが日課。
特技:日本舞踊の新舞踊を約30年間、月3回稽古を続けており、コロナ禍前には老人ホームを慰問したりしていた(仕事が忙しいとよく休む)。新舞踊の仲間15人中13人はエルセラーンのメンバーさん。
 
7時:起床。メイク。朝食(主人が作ってくれる)。電話で業務連絡
9時半:メンバーにヘナ、エステ。コロナ禍なので1対1の対応
正午:昼食(主人が作ってくれる)。メンバーさんと一緒に食べる
13時:2人目のメンバーにヘナ、エステ
16時:3人目のメンバーにヘナ、エステ
18時半:夕食(主人が作ってくれる)。メンバーさんと一緒に食べる
19時:4人目のメンバーにヘナ、エステ
21時:伝票などの事務処理、発送準備。新聞を読む
0時半:花の水やり
1時:入浴
2時:就寝(3時の時が大いにあり、主人はとても信じられないと思っている)
 

■転機は主人の定年退職

 

 
キャプテンになったのは47歳ですが、その後、義理の両親の介護や主人の姉の看病、自分の病気などが続き、エルセラーンの仕事には集中できませんでした。特に乳がんの手術後5年ほどは痛みとの闘いで、補整下着『セレブ・サエコ』を着るようになって痛みが和らぎ、ようやく仕事に復帰できたのは還暦間近のことです。
主人がちょうど定年退職し、講演会でプラス思考の話を聞いて感銘を受け、率先して食事の支度や洗濯、掃除、地域の役員などを全部引き受けてくれるようになり、私はエルセラーンの仕事に没頭できるようになりました。主人は石橋会長や糸谷社長、直上のキャプテンから四位一体の話を伺い、特ゼミに参加しエルセラーンの素晴らしさを理解してくれたからこそ、私がエルセラーンの仕事に専念できるように変わってくれたのだと思います。
いまでは自分で無農薬の野菜や柑橘類、スイカ、ブルーベリーなどの果物を作り、訪ねてきたメンバーさんの好きなメニューを把握して体に良い食事を用意し、歓迎してくれます。まったく料理ができなかった主人が味付けなど、とっても上手になりました。
 

■学校建設が仕事の原動力に

 

 
最初はストップ・ザ・ポリューション(公害防止=地球環境を守る)から入り、お水で体を変えていただきました。また、最貧国に学校を建てるボランティアをはじめ、心を磨く、それらを仕事にするという四位一体のポリシーがすごいですよね。モノを売ろうとしなくていい。心を磨いて人間性を高めていったら、自然と人は寄ってきて付いてきてくれるというところです。親戚関係のトラブルやストレスで病気ばかりしていた私が、エルセラーンに出合ってからは体も心も元気にしていただきました。
2014年にカンボジアのロハルに土井田小学校を建てていただき、開校式に主人、メンバーさんと参加させていただきました。そのときの子どもさんたちの喜びの笑顔と私たちの姿が見えなくなるまで「ありがとう」「さよなら」と見送ってくれた姿が忘れられません。その笑顔が私の学校建設への原動力です。
私は戦後すぐに生まれたので日本国民の皆さんが貧乏でしたが学校はあり、学校へ行くのは当たり前でした。その後は高度経済成長で頑張れば頑張っただけの成果が得られる、日本の一番いい時代に過ごさせていただいたので、そのお返しをしたいといつも思っています。最貧国の子どもたちは学校がないし、女の子は学校へ行かなくていいとさえいわれています。
石橋会長は「お金をあげるのは簡単だけれど、子どもたちに教育をつけてあげるのがその国の発展につながる」とおっしゃいます。「あ~、そうだな」と思います。私が乳がんを患っても生かしてもらっているのは、「最貧国の子どもたちの為に学校建設をしなさい」という使命を頂いているからかなと思っています。
 

■島外の若い世代にもエルセラーンを

 
コロナ禍の今年も学校建設9校目の条件を達成できたのはメンバーさんたちのおかげです。これからも、まず10校建設を目標に頑張っていきたいです。そして、そこからもう10校…。エルセラーンにかかわっている限りは生涯、学校建設にかかわっていたいですね。私より先輩でも頑張っておられるキャプテンが何人もおられるので、年齢は忘れることにして学校建設を続けていきたいです。
私の名前が付いた学校、図書館が建ったので、開館式に参加した孫から「おばあちゃん、すごいことをやっているんだね」と褒めてもらいました。孫の周囲の若い世代へもエルセラーンの素晴らしさを伝えていきたいです。
今の私の課題は島外の若い人たちにもエルセラーンをお伝えすることです。メンバーさんの8割は島の住民で、高齢化しています。島のメンバーの島外に住む娘さん、そしてその先へ、どうやったらエルセラーンをお伝えしていけるのか。キャプテンになることを目標としていただける若い人をどうやったら育てていけるのか。ちょうどストップ・ザ・ポリューション(公害防止)やSDGsを盛り込んだ新しいフリップチャートを会社で作成していただきましたので、環境問題に敏感な若い世代に積極的に伝えていきたいと考えています。(インタビュー2021年11月)


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