過去紹介分(8)藏田芙美・須藤裕布子・都築恵子キャプテン

 エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。

 

藏田 芙美(くらた・ふみ)キャプテン(1983年生まれ)
(2022年奈良キャプテン会所属)
フリップチャートで広げるエルセラーンの輪

 

■波乱万丈の人生

 

 
私は周りから社交的で積極的、いつも笑顔とほめられますが、実は波乱万丈の人生を歩んできました。19歳からの4年間は病気の母親とアルツハイマーの祖母を同時に介護。母が亡くなり、カメラマンのアシスタントをへて26歳で結婚。二女の出産で産後ウツになり一年半も苦しみました。
主人は大型タンカーでエネルギー商品や自動車などを中東、アメリカ、ヨーロッパなど世界中に運ぶ遠洋航海の船員で何か月も海外出張が続き、私の周りにはサポートをしてくれる人がいませんでした。「よく生きていたな」と自分を褒めてあげたいくらいです。
エルセラーンとの出合いは、三人目を授かる事を望んで良いものか、諦めて仕事をするかで悩んだ末に決死の覚悟で挑み、妊娠8か月を迎えていた2017年秋でした。直上となる田畑奈緒子キャプテンの妹さんから「お水の話がある」とホームパーティに根気よく誘われ、そこで行われた水の実験にすごく感動しました。商品はすぐには買えませんでしたが、田畑キャプテンのご厚意で半年にもわたりエルセラーンのお水をいただき、三女を無事に出産できました。
主人もこの水を数か月にわたりオリジナル実験して何やら納得したらしく(笑)、アンダーシンクとCWSの購入を認めてくれました。それまで使っていた浄水器の水と味や匂いが全く違い、特に料理好きな私としては出汁の出方に本当に驚きました。
 

■フリップチャートの衝撃

 

 
物事には自然な流れやタイミングというのがあるのかもしれません。糸谷社長からパートナーフォーラムへのお誘いがあり、主人に話すと「社長直々に誘われたんやから、行かなあかんやろ」と背中を押されました。フォーラムではこれまでにないくらいフリップチャートを読み込みました。
フリップチャートとの出会いは「ショック」で、地球の様々な問題に対する私自身の他人事感が吹っ飛びました。自分が無意識に地球にしてきたことがどれほど酷い事だったのかと思い知らされ、一人でも多くの方にこのことを知って頂こうとの思いでいっぱいになりました。
帰宅して主人にキャプテンになることについて相談してみると、「なっといたら」と軽くアドバイスしてくれ肩の力が抜けて決意が固まりました。気が付いたらキャプテンになっていました(笑)。
興味深いことに、エルセラーン商品の場合と同様に、フリップチャートでも相手の反応が両極端に分かれます。興味津々の人もいれば、「説明、長いね」と冷たく言い放つ人もいます。エルセラーンを求めている「いい人」探しへの挑戦との思いで、多くの人にフリップチャートを読んでいきたいと思います。
 

■人生が好循環に

 
キャプテンになり生活のすべてが好循環になっていることを強く感じています。責任感が強まり、大きく視野が広がったとの気概も生まれました。どうしてもっと早くキャプテンにならなかったんだろう(笑)。3月のスプリングフェスティバルで学校開校式に家族5人で参加させていただきました。式典後に長女が「私も学校をつくりたい」と言ってくれたのは涙がでるくらい嬉しい経験でした。パートナーの皆さんも小さな勇気と少し軽い気持ちでキャプテンに挑戦してみてはいかがでしょうか。人生が大きく開けていくと思います。
私はフリップチャートを読んで、読んで、読みまくって(笑)国際ボランティアや環境保護のために一緒に進んでくれる仲間をたくさん作り、それが私の名前の付いた学校建設につながっていけば最高です。(インタビュー2022年3月)

 
 

須藤裕布子キャプテン(1977年生まれ)
(2022年奈良キャプテン会所属)
開校式に参加して変わった〝人生観〟

 

■終末期医療現場からの転身

 

 
20代半ばに看護師仲間からエステに誘われたのがエルセラーンとの出合いでした。顔のニキビが気になり自然派化粧品をいくつか試していたころで、やがて講演会でエルセラーンの水についても知り、いいなと思ってパートナーになりました。でも仕事が忙しくてその後10年ほどは単に商品を使っているだけでした。
転機は2013年、キャプテン名がついた学校が建ち始めたことです。「四位一体」の企業理念に触れ、すごいボランティアをしている会社だと衝撃を受け、開校式のDVDで現地の子どもが「初めて夢を持てました」と話している姿が脳裏に焼き付きました。そして2018年1月に参加したベトナムの開校式。ボコボコの道を車で延々と走り、仙人が出そうな険しい山を縫ってたどり着いた辺鄙な村で子どもや親、先生らの大歓迎を受けました。国際ボランティアの意義を肌で感じたんです。
私は終末期医療の病棟で看護師として働いていたので、人が亡くなる場面に立ち会うことも多かったです。コロナ期はリスクを減らすため家と職場の往復に徹し、心身ともに疲れていました。この先、自分もどうなるかわからない。自分はどう生きていきたいのか。気が付くと心を磨き続けるキャプテンに惹かれ、なろうと決心していました。
 

■開校式で体感する国際ボランティアの意義

 

 
私は人見知りが激しく、いつも隅っこにいるタイプでした。(人との出会いが仕事の)キャプテンになるような感じではなかったんです。でもエルセラーンに出合って「79億人の脳はみな同じ」の講義を聞き、脳の鉄板を外そう、プラス思考に変わろうと思いました。私のような人間でも変われたなら、エルセラーンのポリシーが素晴らしいという証明になると思うんです。そうなりたいんです。
映画『MINAMATA-ミナマタ-』を観て、自身にも地球にも優しい商品を使ってほしい、エルセラーンの人としてのつながりを知ってほしいと思いました。たくさんの人に出会ってエルセラーンの商品を広めていくことは学校建設にもつながっていきます。自分の名前の付いた学校を実現したいです。
私の祖母は戦争で思うように勉強ができませんでした。勉強したいのにできないのは辛いことです。学校建設で少しでもお役に立てれば。そして、開校式で私の生き方が変わったように、私の名前のついた学校の開校式で他の方がその感覚を生で体験していただけたら嬉しいです。(インタビュー2022年3月)

 
 

都築惠子キャプテン(1953年生まれ)
(1991年豊田キャプテン会所属)
キャプテン30周年、新たな出会いを求めて

 

■公害ストップのポリシーで義父を説得

 

 
3歳だった二男たちの子育てに専念していたとき、エルセラーンを使う友だちから化粧品は石油からできていて洗剤と変わらないと教えられ、帰宅して化粧水を振ったら泡立ったのでショックを受けました。すぐに使いたかったけれど売ってもらえなかったので、サンプルを使いながら講習会へ参加してパートナーに。憑かれたように親姉妹や友だちに「化粧品が石油からできてるって知ってる?」と話して回りました。
でも、エルセラーンの勉強会への参加には元刑事だった厳格な義父から「幼い子どもがいるのに家をあけることはならん」と猛反対されたんです。子育てからの社会復帰を考えていた時期で、仕事にするならこれだと思ったのに…。直上のキャプテンとともにエルセラーンのことを必死で説明しました。1年ほどかけて変な会社じゃないことが徐々に伝わり、義父は二男の保育園送迎を手伝ってくれるところまで軟化しました。キャプテンへ昇格する環境が整っていきました。
 

★都築惠子Cのプロフィール★

 
出身地:愛知県豊田市。小6のとき父を交通事故で亡くし、「早く母を楽にしてあげたい」と高卒後すぐ県職員に。職場結婚し、2人目の出産を機に退職した。
血液型:B型。
家族:2男1女をもうけた。今は夫、二男と3人で暮らしている。
趣味:小4のころに読んだ小説『若草物語』で読書に目覚め、文学少女に。サガンや宮本輝、そして純文学、三国志などの歴史小説を読み漁った。若い頃は絵を描いたりテニスも楽しんだが、最近は小説への魅力が薄れ、読書とも疎遠になっているという。
特技:子育てを終えた後の仕事に、と着付けの免状を取ったがキャプテンになったのでお蔵入りに。
 

■仲間に支えられた30年

 

30年功労賞の表彰を受けた都築惠子キャプテン(左から3人目)=2022年3月

 
キャプテンになって丸30年。今年3月のスプリングフェスティバルでは30年功労賞を頂きました。あっという間の気もしますが、仕事だからいろんなことがありました。でも辞めたいと思ったことは一度もありません。たくさんの人と出会い関わる中で人を大切にし、素晴らしい生き方ができ、常に夢と希望を持って仕事ができるからです。
このうち12~13年は親の介護をしながらの活動だったので、催しや勉強会にも参加しにくい時期がありました。そういうとき、フォローし助けてくれたのはキャプテンやメンバーさんたちでした。
キャプテンのみなさんは素晴らしい面をお持ちで、尊敬できる方がたくさんいらっしゃいます。私にとってキャプテンは世界平和という同じ目標に向かって進む〝同志〟=〝大事な仲間〟です。
 

■自分の名前の学校を建てる喜び

 

都築小学校 開校式に参加した都築惠子キャプテン(右)=2015年4月

 
2015年4月、ネパールで都築小学校の開校式に参加しました。門のところでバスを降りたとき出迎えてくれた子どもたちのキラキラの瞳が目に焼き付いています。親御さんたちもすごくたくさん集まっていただき、村のみなさんが体全体で喜びを表してくれました。
1%クラブのみんなでおこなっている学校建設ですが、自分の名前を学校名に付けていただくということは格別な喜びです。あの感動は忘れません。どのキャプテンにもぜひ味わってほしい。メンバーにはキャプテンに昇格して自分の名前の学校を建てる喜び、感激を体験してほしいです。
石橋会長がキャプテンは学校建設10校を目指すようにとおっしゃっているので、私も10校を目標にしています。今年は5校目の学校建設条件達成に向けて頑張りたいです。
 

■素敵な生き方に通じる扉

 
キャプテンの仕事はキャプテンを作ることだと思っています。そのためには若い世代に伝えていかなくては。今のメンバーたちの娘さん、お嫁さんにもっと伝えたいです。
先日のスプリングフェスティバルに、もうすぐ20歳になる女性が来てくれて友人にも伝えたいと言ってくれました。今は伝える強力な道具として新フリップチャートもあります。そこからフェスティバルへお誘いして、糸谷社長にお会いできる場へお連れしたいですね。
たくさんの人に出会って学校建設に繋げていけたらいいなと思います。新しい人に出会って仲間を増やしていきたいですね。あなたも素敵な生き方に通じるエルセラーンの扉を開いてみませんか。(インタビュー2022年3月)


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