ボランティア

訪問から2年9カ月 永井中学校(サラソティ・ベーシック)

ネパールの首都カトマンズから車で1時間半の距離にある永井中学校を、エルセラーンメンバーが訪問したのは2020年2月のことでした。
新しい校舎の建設工事完了を目前としていたときに現地を襲った大雨・地滑りは、学校だけでなく村人たちの心にも大きな傷を残しました。
その訪問後、現地からレポートが届きました。


当時の現地新聞紙面




学校に到着し、被災状況を直接見るエルセラーンメンバー



地滑りで旧校舎前の広場はなくなっています。





この場所から眼下に完成間近の新校舎が見えました。





1階部分に土砂が流れ込んでいます。





2階部分は無事ですが机・椅子などの搬入はできていませんでした。





場所を移し開校式へ。



遠くにヒマラヤ山脈を望む素晴らしいロケーションです。

























訪問後のスプリングフェスティバル(2020年3月)では永井中学校の開校式訪問が映像で報告され、建設事業を手掛けたNPO法人「チョウタリィの会」の山口悦子代表理事は映像のあと、次のようにコメントされました。

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水害が発生してからは、あの村は陸の孤島のような感じになっていました。
たくさんの人が亡くなり、希望がないようなムードでした。



永井中学校があるあの村は、ネパールの他の学校を訪問する際の通り道にあるので、災害後も私は何度か訪れたことがありました。
当時、村の人たちは先ほど映像で見たような、楽しそうな様子ではありませんでした。
笑顔が、本当になかったんです。
それが、あの映像のような、笑顔あふれる開校式になりました。



開校式のあと、日本に帰ってきてから何度かネパールに問い合わせました。
「永井中学校の村は、あれからどんな様子ですか?」と。
すると

「村人たちが校舎までの道や、校舎の土砂を運んで整備していますよ、山口さん」という答えでした。

驚きました。
エルセラーンのみなさんが訪問する前に、私が何度も訪れて、励まして、「学校を使えるようにしてください! 土砂を運び出してください!」と村人に働きかけても、意気消沈してしまって、誰も動けなかったんです。
「家族や知り合いが命を落としたあの場所には、どうしても行く気になれない」という話だったんです。

開校式の日の後は、そんな様子が嘘だったように、「毎日のように村人が作業しているよ」と知らせてもらえました。
日本のエルセラーンのみなさんが、あそこまで足を運んだ情熱というのが、村を変えたようです。



スプリングフェスティバルで開校式を振り返る永井キャプテン




「この村はもうダメだから引っ越そう」
「出稼ぎを頼りにほかに行こう」
そういう声が出ていた村から
「私たちの村を、私たちの力で何とかするんだ!」という気持ちにまで、みなさんの力が変えてしまったというのを、今回感じました。
エルセラーンのみなさんが持っていった笑顔が、子ども達だけじゃなく村人にも伝わって、その地域を変えていく力があるんだと思います。



そのご報告をしたくて、今日ここでお話しできることを楽しみにしていました。
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そして訪問から2年9カ月後に現地から届いたレポートは、11月9日・10日 愛知県 ラグーナベイコート倶楽部でのランチミーティングで紹介されました。






レポートの概要は次の通りです。
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・災害を受け、完成間近だった新校舎が使えなくなった地域のためにネパール政府が4教室の新校舎を建設した。
・建設用地は、エルセラーンメンバーとともに開校式をおこなった場所。



ネパール政府が別途建設した校舎




・2020年4月から2021年8月の新校舎完成までの間、永井中学校新校舎の無事だった2階部分の教室を利用して授業がおこなわれていた。





・永井中学校校舎は現在、生徒たちや地域住民のトレーニングルームとして、またネパールの極真空手の空手教室の場として活用されている。
・現在は22人の子どもが永井中学校の教室で毎日空手を習っている。





・ネパール政府によると「永井中学校の校舎は現在安全面から、学校の通常授業をおこなうことは許可できない。土砂を撤去し、破損箇所の修繕、防護壁の建設ができれば、校舎として使用可能になる」とのこと。
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このレポートを現地ネパールから届けてくださった山口代表理事は、こう付け加えています。

「エルセラーンの校舎はあのような大洪水にも流されず建っていたことで、政府の皆様が感心していたそうです。
他の校舎は土台からくずれてしまっていたそうです。
その事もあって政府が特別に新校舎を建ててくれたそうです。
永井さんの校舎も周囲を安全にするように政府に働きかけています。
政府は『学校と父兄で防護壁を建てて、校舎を使用可能な状態にするように』と言っているそうです。
永井さんの校舎も必ず子どもたちに使えるようになると思います」





今は「学校の授業をおこなう教室」という形ではありませんが、子どもたちの健やかな成長のための場として、永井中学校は現地で愛されていました。





1%クラブとしても今後、「被災地の学校」でどのような支援ができるのか、検討していきたいと思います。


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