過去紹介分(16)木村清美・榊原けい子キャプテン

 エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。

 

木村 清美キャプテン(1942年生まれ)
(1987年奈良キャプテン会⇒2015年静岡キャプテン会所属)
超プラス思考で周りの人も幸せに

 

■難病を克服して新天地で〝復活〟

 

 
他社の化粧品を使っていた影響なのか、40代になって顔の右半分が黒ずんでしまい気になっていました。そんな時、知り合いから「肌がキレイになるし、天然原料の化粧品があるから」と勧められたのがエルセラーンでした。1985年夏のことです。パートナーとなり商品を使ってビックリ。肌が本当にキレイになったんです。その噂が勝手に広がり、メンバーさんがどんどん増えて2年後、押し上げられる形でキャプテンに昇格しました。
でも1994年に主人が他界すると気分が落ち込み、体調も悪くなっていきました。体を動かすのも大変になり3年ほど病院を渡り歩いた末、ホルモン異常の難病になっていると判明しました。メンバーの方たちが化粧品を利用してくれたのでキャプテンの看板は下ろさなかったものの、勉強会や催しには行けず、会社の最新情報から取り残されていきました。
2015年、静岡の実家の母を看ることになり住み慣れた奈良を離れるに際し、「この体調でキャプテンは無理かな」と思って会社の資料を捨てました。それでも引っ越してすぐ、静岡キャプテン会の原きく江リーダーにご挨拶へ行くと、ホームパーティ真っ最中。新しく『テラ ヘルスケット』が出たときで、お顔ぐらいしか存じ上げない方なのに、親切に商品のことや、会社の最新情報を教えて下さる心遣いに感動しました。
幸い、体調が徐々に回復し、原キャプテンから講演会や勉強会へのお誘いを受け、参加するようになりました。『セントラルウォーターシステムRS』や『アクアジュエリー アンダーシンク』もそこで初めて知り、使い始めるとさらに元気になっていき、キャプテン業を再び頑張られるようになったんです。
 

★木村 清美キャプテンのプロフィール★

 
出身地:静岡市出身。実家は7代続いた建設関係の家柄。見合い結婚して奈良に住むようになったが、母の世話をするため2015年静岡の実家へ戻った。
血液型:B型。持って生まれた明るい性格に加えて、エルセラーンに出合ってから心に雑念を持たず素直に直感で判断して動くようになった。
家族:大阪商人だった夫は1994年に他界。二男も4歳のとき交通事故で亡くしており、今は長男と二人暮らし。
息抜き:車でドライブするのがお気に入り。旧家で敷地が広く、庭木の水やりなども日課となっている。
 

■開校式で実感した〝国際ボランティアの力〟

 

木村小学校の開校式で=2021年3月

 
長らく勉強会や催しから遠ざかっていたので、キャプテン名の学校建設が進んでいることも、ホテル エルセラーン大阪ができたことも知りませんでした。〝復活〟して勉強会へ行くようになると、学校建設をしないとおれない雰囲気を感じました。途上国の子どもたちのために学校を建てることはいいことだし自分も頑張ろうと思い、その年末に初めて学校建設条件を達成しました。
そしてコロナ禍の2021年3月、ホテル エルセラーン大阪でバングラデシュ 木村小学校の開校式に参加させていただきました。会場の入場門をくぐるとみなさんから「おめでとう」の言葉をシャワーのように浴び、現地へ行けなくてもこんなに嬉しいんだと体が震えました。
式典には私とそりの合わなかった義弟も参加してくれました。私をことあるごとに否定していた厳しい身内ですが、開校式にとても感動してくれて「すごいな、清美ちゃん。応援するから日本一になれ」とこれを境に私を励ましてくれようになったんです。残念ながらその8か月後にガンで旅立ちましたが、国際ボランティアの力を実感しました。
私は戦争中に生まれましたが戦後、日本がここまで復活できたのは教育のおかげだと思います。石橋会長はそれぞれのキャプテンが10校は建てなさいとおっしゃっています。今はまだ3校目に挑戦中ですが、10校を達成するまでは人生を頑張ろうという思いでやっています。
 

■商品説明に威力見せる〝木村メモ〟

 

 
エルセラーンの商品はどれも素晴らしいので、その特徴などを正しくメンバーのみなさんに伝えるために、商品ごとに「全国リーダーキャプテン会」や「NBC養成ゼミナール」などで聞いた説明をもとに自分自身でメモを作っています。このときに役立っているのが若い頃、知人で視力の弱かった大学教授の資料作りをお手伝いした際に身に着けた技能です。文献や講義の録音テープなどからまとめ資料を作る〝助手〟を5年ほどしていましたから。
メモにまとめると商品のことがしっかり頭に入り、メンバーのみなさんに説明しやすくなります。
今年9月に発売された光触媒除菌脱臭機『Clean Air COSMO』(クリーンエアーコスモ)もNBCで習った内容をもとに自分でメモを作り、奈良のメンバーのみなさんを精力的に回って商品特徴を説明した後、ダメ押しで改めて要点をお伝えするように心掛けました。そうすると商品の素晴らしさが上手く伝わったのか、1カ月で40台もの注文をいただき月1,000万の目標達成の原動力となりました。
でも石橋会長は「エルセラーンのシステムは誰でも年間6,000万を出せるように作っています」とおっしゃっているのに、そこまでは行けていません。まだまだ心が磨き足りないので頑張ります。
 

■私ほど幸せな人はいない

 
静岡でキャプテン業を本格的に再開してから、周りの人たちが幸せになっていってくれるのを実感していて凄いことだなと思います。私はそれまでは悩みを解決できず、同じところをグルグル回っているだけの人間だったんです。世の中に《私ほど不幸な人はいない》とまで思っていましたが、エルセラーンの勉強会などへ参加してプラス思考・マイナス思考や芯実皮などの自然の法則を勉強できて、現在のようになれました。今では《私ほど幸せな人はいない》と感じています。
80歳になりましたが、自分が超プラス思考になり周りの人たちも幸せにしていけるなんて…。「凄いな、エルセラーン」と思います。学校建設ももちろんいいのだけれど、超プラス思考で周りを幸せにすることとの両輪があるからこそ、エルセラーンは素晴らしいのですね。
若い人にもぜひ、この両輪で人生を過ごしてほしいなと思います。(インタビュー2022年11月)

 
 

榊原 けい子キャプテン(1942年生まれ)
(1991年名古屋キャプテン会所属)
日々素直に感謝してお伝え

 

■主人の方が乗り気だったキャプテン昇格

 

 
40代後半のとき、4年ぶりに会った友人の肌がきれいになっていることに驚きました。「エルセラーン化粧品を使っているから」と聞かされ、着付け教室の仲間にパートナーさんがいたのでホームパーティを開いてもらいました。そのとき化粧品の説明で来られたのが伊藤計子キャプテン(豊田キャプテン会)でした。その後、講演会、講習会へ誘っていただき、長島温泉のホテル花水木のフォーラムに参加したらメンバーのみなさんがとても優しくしてくれたので感激してパートナーになりました。
他の人にもエルセラーンをお伝えしたいと思い、伊藤キャプテンとともに、うちのビルで何度もホームパーティを開きました。すると半年間でパートナーさんが20人も生まれ、会社から表彰されたんです。中には「キャプテンに昇格したいから榊原さんも一緒に上がって」という方も現れ、伊藤キャプテンからも勧められました。
でも、私はそのころ喫茶店の経営、着付け教室の講師の仕事で忙しく、キャプテン業もこなせるのか不安でした。主人の協力が不可欠だと考え相談したら、「着付けは先が見えているが、この会社は今から伸びるからやったらいい。やれ、やれ」っていうんですよ。驚きました。主人は新聞で《これからの企業は環境、ボランティアに取り組むところだ》という記事を読んでおり、石橋会長の講演を聴いて「あの精神は素晴らしい」と共感もしていたんです。
キャプテンに昇格して間もなく登場したアルカリイオン水生成器をみて主人は「エルセラーンは最高のものを売っている」と絶賛。主人と二人で100台ぐらい販売し、売上がトントン拍子に伸びて気が付けば新人グランプリ賞を頂いていました。その後、会社から海外旅行にも30カ国くらい行かせていただきました。エルセラーンをしていなければ味わえない体験をさせてもらっています。
 

★榊原 けい子キャプテンのプロフィール★

 
出身地:愛知県半田市出身。見合い結婚で近くの農家へ嫁いだ。
血液型:B型。子どものころから責任感が強く、親兄弟から頼られる存在。自己分析は「くよくよせず、未来を見て頑張っていく」性格。
家族:姉、兄と妹2人の5人兄弟の真ん中。結婚して4人の娘を授かった。会社員だった夫は脱サラし、1981年に貸しビル経営の会社を立ち上げて手広く商売をしていたが2000年に急逝。榊原キャプテンが社長業を引き継いでいる。
特技:4人の子育て中に勉強した着付け。調理師免許も取得し、経営する喫茶店で腕を振るったこともある。
息抜き:若い頃は手芸や絵を描いたり、カラオケで歌ったりしたがすべてやめた。今はエルセラーンのサロンで留守番の空き時間にテレビ時代劇『水戸黄門』を観るのが楽しみ。
 

■エステが骨折した右腕の〝リハビリ〟

 
キャプテンになって31年。山あり、谷ありでしたが特に2000年のことは忘れられません。主人が7月、急に亡くなったんです。肝臓を悪くして約3か月、あっという間の出来事でした。実感が湧かないまま、主人の貸しビル管理会社を経営することになったんです。
9月には後に「東海豪雨」と呼ばれるようになる集中豪雨に見舞われ、自宅が床上65㎝も浸水して壁が落ち、畳はグチャグチャになって大変でした。この時に会社やキャプテン、メンバーのみなさんに応援してもらい感謝しています。
そして12月、階段から落ちて利き腕の右腕を骨折しました。車の運転は出来ない、字も書けない…。とても苦労しました。半年の間に、それまで経験したこともない災難が3つも重なりました。でも、根が明るく前向きな性格なので「負けないぞ」と奮起しました。
骨折した右腕のリハビリも兼ねてメンバーのみなさんにエステを積極的におこない、応援していただき逆に成績を伸ばしました。リハビリの指導を受けていた接骨院の先生は「榊原さんは『エステがリハビリだ』とかいって、2か月ほどで治療に来なくなりましたね」とあきれていました。
ありがたいことにこれまでにキャプテンを12人育て、成績はコロナ禍の昨年を除いてジュニアエグゼクティブキャプテンより下がったことがありません。支えてくださるメンバーのみなさんのおかげですね。今年もあと少しで〝ジュニエグ〟に届きそうなので老体に鞭打って頑張ります。
 

■ネパールで迎えた〝三婆〟の開校式

 

ネパール 榊原小学校の開校式で児童たちと=2014年3月

 
2014年3月、ネパールの榊原小学校の開校式に参加しました。断崖の上に建てられた学校で、子どもたちは山を越え、川を渡って通っていると聞きました。花のレイを首いっぱいにかけていただき、感激で胸が熱くなりました。子どもたちが上手にダンスをやってくれて、最後は私も一緒に踊ってすごく楽しかったです。いい思い出になりました。
児童のおばあさんから「孫のために学校を建ててくれてありがとう」とお礼をいわれ、喜んでもらえて良かったと思いましたが歳を聞いたらまだ50代。年齢より老けてみえたので、過酷な環境でご苦労されているんだなと思いました。
このスタディツアーでは、私の他に2人のキャプテンがそれぞれ開校式をおこないました。清水有美子キャプテン(兵庫キャプテン会)と伊藤キャプテンです。3人とも同世代で、「〝三婆(さんばば)〟が学校を建てたのよ」といいながらネパールへ行きました。三婆は仲がいいんですよ。
コロナ禍の今年3月にはホテル エルセラーン大阪で、私の2校目となるベトナム 榊原図書館の開館式を開催していただきました。今回は娘やたくさんのメンバーの方にも集まっていただき、一緒に入場門をくぐれて良かったです。現地へ行けないなら国内のホテルで…なんて素晴らしいアイデアですね。感謝しています。
 

■感謝の呪文「ツイてる、ツイてる」

 

 
コロナ禍という大変な時代になりましたが、それに負けないように人と人とのコミュニケーションを取る努力をすることが大切だと思っています。私は80歳を超えましたが毎日、素直な気持ちで感謝をして多くの人にエルセラーンのポリシーを伝えていきたいです。
エルセラーンの考え方、行動の仕方は時代が変わってもブレることなく一貫しています。糸谷社長が石橋会長のことを受け継ぎ、マザー・テレサのように他人の幸せを願ってやっていますよね。私も少しはその生き方に近づきたいという気持ちです。
みなさんが幸せになれることを私も一生懸命にやる。《感謝をして、多くの人にその感謝を分け与えられる》ようになるためには毎日の思いが大切。生きていれば嫌なこともありますが、マイナスのことは考えず「明日があるさ」と思い、いつも「ツイてる、ツイてる」と自分にいいきかせながらパチンと手を叩くと明るい気分になれます。
まずは85歳まで元気でエルセラーンをやり続けたいです。いい商品を扱っていますから、感謝しながら使い、飲み、多くの人に伝えていく。エルセラーンの発展=世界規模のボランティア=世界平和の実現─ですから、少しでもそのお役に立ちたいですね。(インタビュー2022年11月)


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